勝精(かつくわし)    明治21年8月23日〜昭和7年7月10日(1888-1932)

    徳川慶喜(十男)・従三位伯爵。俗名、忠太郎。東京出身。勝海舟(1823-1899)の嫡男小鹿(ころく)が40歳で亡くなったため、海舟の死の直前の明治32年(1899)1月20日勝海舟の長女伊代子(1888-1922.5.7)に婿養に入り家督を継ぎ、伯爵となる。母は、徳川慶喜の側室新村信。慶応義塾理財科を卒業し、実業界に入り、オリエンタル写真工業取締役となる。浅野セメント・石川島飛行機製作所各重役。妻伊代子が先に亡くなった後は、水野まさを愛妾としていた。伊代子の墓は、本人の希望で同じ墓に入りたくないと青山の勝家の墓に入ったが、昭和28年(1953)に改葬した。子に、道子・善子・静子・中子がいる。

墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓の舗装通路向かい。正面「従三位伯爵勝精/室 伊代子 墓」。