井上文雄(いのうえふみお)    寛政12年4月19日〜明治4年11月18日(1800-1871)

    歌人・田安家侍医・国学者。通称、玄真。号、歌堂・柯堂・調鶴。江戸出身。初め岸本由豆流(きしもとゆずる)に国学を学び、のち一柳千古に皇国学を学ぶ。和歌においては、世人に賞賛され香川景樹以後の名人といわれた。田安家侍医として45俵を賜る。晩年の歌には政府に咎められたものがあり、投獄されたこともある。門下には、佐々木弘綱、藤尾景季、竹川政恕、川喜田政明、三輪義方、大野完子、島津永子、井上淑蔭らがいる。72歳。著書:「大和物語新註」、「伊勢の家苞」、「大井川御幸和歌序考証」、「思草」、「文雄翁歌集」など多数。

※ 辞世: 老はてゝ命惜しとは思はねど死ぬとしいえはかなしかりけり

墓は、玉林寺墓地(谷中1-7-15)。正面「井上文雄墓」。「文雄院歌先明道居士」。墓地へ上がる階段上を右に、通路が左折する所の左角。自然石の碑と墓碑がある。