井上達二(いのうえたつじ)    明治14年〜昭和51年11月23日(1881-1976)

    眼科医。父、井上眼科創立者井上達也(二男)。東京出身。明治39年(1906)陸軍衛生幇助員。ドイツ・イギリス・フランスに留学し、眼科を研究。明治42年(1909)帰国し、井上眼科を継ぎ7代院長、明治・大正・昭和にわたり長く院長を勤めた。明治44年(1911)医学博士。大正12年(1923)の大震災による病院の焼失と復興および罹災者救済に尽力。昭和4年(1929)欧米視察。昭和20年(1945)3月10日の大空襲による罹災患者1000余人の治療にあたる。兄井上達一・弟井上四郎ともに医学博士。夫人は、東京角倉正道の妹愛子。95歳。なお、8代院長は、長男の井上正澄(-2004.4.3)。

井上治郎(いのうえじろう)     昭和11年3月20日〜平成20年6月6日(1936-2008)

     井上眼科第9代院長。東京都台東区出身。昭和35年(1960)東京大学医学部(眼科学)卒。昭和36年(1961)東京大学医学部附属病院眼科医局に入局。昭和41年(1966)シカゴ大学眼科研究科講師。昭和46年(1971)帝国大学医学部眼科助教授を経て、昭和48年(1973)済安堂井上眼科病院副院長。昭和56年(1981)9代目院長。東京都社会保険診療報酬支払基金専任審査委員も務めた。のち院長を退き、理事長選任。編著に「井上眼科病院に学ぶ眼科病院システムと診療のコツ」などがある。東京都功労者賞・教育文化功労賞などを受賞した。胆管癌にて没する。72歳。
※ 故人歴情報は、森光俊様のご提供。

墓は、谷中霊園 甲4号7側。駐在所の横向かい。正面「井上家」。達二「光顕院殿秀徳達栄大居士」。治郎「弘賢院覚善治道居士」。井上達也からみて、長男井上達一、二男井上達二、その下に井上達四郎がいるが、井上達七郎(1869-1902)の位置づけ不明。