井上達也(いのうえたつや)    嘉永元年〜明治28年(1848-1895)

    眼科医。明治14年(1881) 明治14年(1881)駿河台に済安堂医院(井上眼科病院)を開設。独・仏に留学、最先端の眼科学を習得した。帰国後明治23年(1890)新病院を開設、最新設備を完備し、やがて白内障手術の第一人者となった。また眼科学会の前身の「井上眼科研究会」の会頭として、海外にまでその名を知られた。 なお、東京大学眼科学教室の創始者でもある。二男は井上達二

井上達也碑
碑は、谷中霊園甲4号8側。駐在所の横。谷中霊園の碑は日下部鳴鶴(1838-1922)の書。碑の後ろ側にある大きな墓碑には、井上達也より後の方が祀られている。井上達也墓は、北区大龍寺にある。