井坂孝(いさかたかし) 明治2年12月8日〜昭和24年6月19日(1869-1949)
ホテルニューグランド・東京瓦斯等社長。父、水戸藩士井坂幹(三男)。茨木県水戸出身。明治29年(1896)東京帝国大学法科大学卒業。明治29年(1896)東洋汽船に入社。明治41年(1908)専務、のち社長。漸次横浜圏における実業界に台頭。大正3年(1914)辞して、横浜火災保険専務となり大正9年(1920)社長。第1次世界大戦後の不況で破産した七十四銀行を整理し、横浜興信銀行を設立、副頭取のち頭取。大正10年(1921-1933)横浜商工会議所会頭。関東大震災後の横浜の復興尽力。昭和3年(1928)欧州諸国を視察。昭和7年(1932)ころから、ホテルニューグランド社長(のち初代会長)・東京瓦斯社長・日本アルミ社長。昭和14年(1939)ヒットラーの招待を受け、第11回ナチス党大会に出席。横浜船梁会長・日本郵船・三井銀行・東洋電機・日本無線電信・横浜商品倉庫・横浜海上火災各取締役を兼務。戦中戦後の内務省社会局参事・日本商工会議所副会頭、日本興業倶楽部理事長・枢密顧問官などの要職を歴任。従五位勲六等。81歳。
※ 故人歴情報のご提供は、森光俊様。
※ ホテルニューグランド:昭和2年(1927)12月山下公園を望む現在の場所に開業。日本を代表するクラシック・ホテルとして、遠く海外までその名を知られている。
墓は、天王寺墓地。朝倉文夫墓の隣り。正面「井坂家之墓」。「光雲院殿観道寿孝大居士」。