石橋政方(いしばしまさかた) 天保12年〜大正5年12月26日(1841-1916)
オランダ語通訳・外務省官史。幼名、助十郎。号、雨窓。父、長崎のオランダ通詞石橋庄五郎。長崎で英語を習得、嘉永元年(1848)稽古通詞。安政2年(1855)小通詞末席。傍ら、英語を米国人水兵らに学ぶ。安政6年(1859)の横浜開港で横浜勤務となる。文久2年(1862)神奈川奉行が横浜英学校を開設すると助教として英語教育に従事。維新後は外務省外国官1等訳官、明治2年(1869)ころ外務大訳・同大書記官。宮内省を歴任。駐日イギリス領事館員アーネスト・サトウ(Ernest Satow)と共編で「英和口語辞典」を明治9年(1876)に英国で出版。退官後は実業界で活動。従四位勲三等。77歳。子に小説家石橋思案がいる。
墓は、天王寺墓地。北端。正面「久遠院雨窓大観居士/光寿院清節妙園大姉」。長崎市鍛冶屋町 大音寺より改葬。