石橋思案(いしばししあん) 慶応3年6月2日〜昭和2年1月28日(1867-1927)
小説家。編集者。本名、助三郎。号、思案外史、雨香。父、石橋政方(長男)。横浜出身。お茶の水の師範学校附属小学校卒。明治11年(1878)学習院に入学。東京帝国大学法科に入学後文科に転向し中退。明治18年(18854)尾崎紅葉・山田美妙らと「硯友社」を創設し、「我楽多文庫」を発行。後に、大橋左平の創業した「博文館」に入社し編集主任となったが、その後幾つかの新聞社の記者を経て、明治34年(1901)読売新聞の社会部長となる。明治36年(1903)博文館に戻り「文芸倶楽部」を編集する。明治18年(1885)「仇桜遊里廼夜嵐」が処女作。著書:「京鹿子」、「乙女心」、「わが恋」、「友白髪」、「恋女房」、「散浮く花」、「生ける妻」など。なお、「硯友社」には江見水陰も参加している。61歳。
辞世の句は「極楽か地獄が我は知らねどもなるべく来るなこんなところへ」
墓は、天王寺墓地。千人塚よりかなりさくら通り寄り北側フェンス近く。石橋家墓域内。「無盡院雨香文山居士」。