江見水蔭(えみすいいん)/江見忠功(えみただかつ) 明治2年8月2日〜昭和9年11月3日(1869-1934)
小説家。本名、忠功。号、水陰。別号、怒涛庵、水蔭亭雨外。岡山県岡山市出身。池田藩士であった父は江見が幼少のころ早世し、明治14年(1881)叔父の水原久雄に勧められ軍人を志し上京するが文学へ転身。明治18年(1885)従兄の富田嘉則のもとから杉浦重剛の称好塾に入り、同人雑誌「毎週雑誌」を発行。塾、出版、作家界の付き合いで厳谷小波、尾崎紅葉、川上眉山、石橋思案、石橋忍月、広津柳浪らと知り合う。その後「硯友社に属し「我楽多文庫」でデビュー。作家活動を本格化させた。最盛期には生活が乱れ職を転々とした。明治35年(1902)谷活東に考古趣味を教えられ、無類の考古マニアとして土器・石器・板碑など発掘や収集をしていた。晩年全国を行脚していたが、立ち寄った徳島で客死した。臨終の席には高知の山峡に隠棲していた吉井勇が駆けつけてきた。66歳。作品:「女房殺し」、「文芸倶楽部」、「新潮来曲」、「旅役者」、「泥水清水」、「地底探検記」など。
墓は、甲11号13側。墓標は再利用のため2面ずつ別人のものとなっている。叔父の水原久雄墓と並ぶ。正面「水陰江見忠功之墓」。