石橋湛山(いしばしたんざん)    明治17年9月25日〜昭和48年4月25日(1884-1793)

    ジャーナリスト・政治家・第55代内閣総理大臣。勲一等旭日大綬章。前名、石橋省三。父、日蓮宗身延山久遠寺法主杉田湛誓(長男)。母方の姓を継ぐ。東京出身。明治18年(1885)父の転任に伴い甲府に移る。明治27年(1894)9月父が静岡市に転任となり、山梨県鏡中条村の長遠寺住職望月日謙に預けられる。山梨の中学生時代に、名を湛山に改名。 明治40年(1907)7月早稲田大学大学部文学科を卒業し宗教研究科へ進級。翌年(1908)7月宗教研究科修了し、東京毎日新聞社入社。翌年(1909)8月東京毎日新聞を退社し、12月東京麻布の歩兵第3連隊に入るが、明治43年(1910)11月除隊。明治44年(1911)1月東洋経済新報社に入社。自由主義に立つ論客として活躍。 昭和15年(1940)11月東洋経済研究所を設立し所長兼理事に就任。昭和16年(1941)2月東洋経済新報社代表取締役社長に就任。昭和21年(1946)第1次吉田内閣の大蔵大臣に就任。翌年衆議院議員(6回当選)。昭和27年(1952-1968)12月立正大学学長に就任。昭和29年(1954)12月第一次鳩山一郎内閣の通商産業大臣に就任。昭和31年(1956-1957)12月自由民主党第2代総裁に当選、内閣総理大臣に就任するが、病気のため2カ月で辞任。昭和38年(1963)政界引退。 88歳。著書:「湛山回想」など。

墓は、善性寺墓地(東日暮里5-41-14)。山門より入り、本堂右横。正面「石橋湛山/石橋家」。「謙徳院殿慈光湛山日省大居士」。