一色直文(いっしきなおふみ) 明治36年〜昭和53年9月30日(1903-1976)
ヘレン・ケラー学院長。東京出身。昭和2年(1927)早稲田大学政経学部卒業。「ダーン従軍」という手記のようなものを書いているので、タイに従軍記者として赴任したらしい。東京日日新聞(毎日新聞の前身)社会部副部長。のち毎日新聞東京本社事業部長。昭和23年(1948)ヘレン・ケラー女史の再来日の際、毎日新聞東京本社事業部長としてヘレン・ケラーキャンペーン委員会の実務を仕切る。昭和25年(1950)初代ヘレン・ケラー学院長。東京ヘレン・ケラー協会常務理事。在職中に没する。従五位勲四等。75歳(墓誌)。のち、ヘレン・ケラー学院には、在学時を通じて特に優れた学業と品行を示した者に贈られる”一色賞”が設けられた。著書:「台湾総督府図書館南洋資料期刊」。
※ 一色氏: 足利支流清和源氏義家流。室町時代には室町幕府の四職家の一つであった。一色直政参照。
墓は、長明寺墓地(谷中5-10-10)。鐘楼裏手にある一色家の笠塔墓の並ぶ右列の通路寄り。正面「慧光院殿法筆日直居士」。台石「一色家」。