伊藤樟堂(いとうしょうどう) 嘉永4年12月〜明治12年8月26日(1851-1879)
薬草学者。父、伊藤圭介。幼少より漢学洋文を学ぶ。11歳で東京に出、13歳で帰る。19歳で中国に留学。21歳で戻り東京医学校に入る。明治7・8年間は信州駒ヶ岳・御岳山・浅間山・日光・箱根・伊豆・菰野山などで薬草採りを行い、毒草薬草を分類整理し、書物に著す。明治11年(1878)胸を患い温泉地などで静養するも甲斐なく27歳で没する。
碑文は下記のとおり(不正確御免)。
伊藤君諱謙号樟堂尾張人伊藤圭介之子也
幼承庭訓長通漢学兼習洋文亦精医理十一
歳随侍東京十三歳帰尾州十九歳游浪華
二十一歳復来東京入医学校留心本草中事
明治七八年間採薬於信州駒嶽御嶽浅間嶽
諸山後?日光箱根伊豆勢州菰野山等処寄
花異草毒薬霊根莫不?採遂撰薬品名彙一
書広行於世又譯西人植物等学著為植学咯
解文部省亦刊行之十一年患胸病左肋膨脹
医治罔?自知不起常鬱鬱不楽頼親友勧慰
乃偕遊於?浦鹿島熊本九州諸勝地又浴於
有馬温泉帰東京養?亦手不釈巻故著述頗
富異日期付??至明治十二年病勢漸増攻
苦尚力以是益憊延及八月二十六日謝世傷
矣距生於嘉永四年十二月得年二十有七歳
又九越月也
墓は、谷中霊園 乙8号6側。伊藤圭介墓後ろ側。