伊東祐相(いとうすけとも)    文化9年8月12日〜明治7年10月21日(1812-1874)

    日向飫肥第13代藩主。名、裕相。字、龍。通称、はじめ彦松・修理・修理大夫。号、李門。父、第11代藩主伊東祐民。母、浅野安芸守斉賢の妹。従五位下。江戸出身。父が死亡後に生まれる。文化11年(1814)叔父の第12代藩主伊東祐丕(すけひろ)が嗣子なく死亡し跡を継ぐ。藩政に尽力し多くの成功を収めた。天保2年藩学「振徳堂」設立。安井滄州・安井息軒らに教授させる。また、間引きの悪習を絶滅させる。海防に厳しく、養老の式典を行うなど善政を施す。戊辰戦争では新政府側についた。明治2年(1869)藩知事になったが、7月第7子の伊東祐帰(すけより)に家督を継ぎ隠居した。伊東祐帰は最後の日向飫肥藩主となった。書画、詩歌を残す。孫に伊東祐弘がいる。正四位。63歳。作品:「落合叟石肖像画」。

墓は、甲8号21側。