伊東祐弘(いとうすけひろ)    明治20年?〜昭和39年3月27日(1887?-1964)

    伊東家33代当主・子爵。父、日向飫肥藩の第14代藩主(最後)で飫肥藩知事の伊東祐帰(いとうすけより:1855-1894)(長男)。先祖は藤原鎌足の子藤原不比等より出て、不比等の子武智麿の後裔維職が伊豆伊東庄に住み、その地名をとって姓とする。のち左衛門尉祐のとき日向国の地頭となる。のち11代を経て伊東祐帰となる。明治27年(1894)家督相続。明治40年(1907)東京大学卒業、法学博士。明治42年(1909)英国の政治状況を視察、独・仏・伊・露・土の各国を歴遊。明治44年(1911)より貴族院議員(子爵議員)に当選3回。伊東水力電気の二代目社長。正三位勲三等。77歳。夫人は、松平康民の4女経子。日向飫肥藩の第13代藩主は、伊藤祐相

墓は、寛永寺谷中墓地。乙10号9側に隣接する辺りの高台。日向飫肥に伊東祐弘の墓があるとする資料があるが、ネット上の写真を見る限り古すぎるようだ。昭和39年没だから、苔むすほど古くはないはず。