伊藤松宇(いとうしょうう) 安政6年10月18日〜昭和18年3月25日(1859-1943)
俳人。俳諧研究家。本名、伊藤伴次郎。号、松宇・琴声・雪操居。長野県小県郡出身。父、俳人北川洗耳。若くして俳句を父に学び、加部琴堂に連句の指導を受ける。明治15年(1882)上京し羽毛田侍郎に和漢学を師事。明治19年(1886)第一銀行に勤務。のち渋沢栄一に見込まれ王子製紙渋沢倉庫に勤務。明治24年(1891)5月森猿男、片山桃雨、石井得中らと「椎の友社」を結成、句会に互選方式を初めて導入した。のちに正岡子規(1867-1902)、内藤鳴雪(1847-1926)らも参加。機関紙「俳諧」を創刊したが2号で廃刊となった。明治29年(1896)角田竹冷(1856-1919)、尾崎紅葉(1868-1903)らの「秋声会」に加盟。明治44年(1911)「にひはり」(後の「筑波」)を創刊。晩年は文京区関口台町の史蹟芭蕉庵に住む。著:「俳書集覧」、「蕉影余韻」、「松宇家集」、「俳諧中興五傑集」、「俳文学大系」、「芭蕉七部集」、「俳諧雑筆」など。85歳。妻、とう子(1871-1940)も俳人:「寿くや一の皇子に一の春」。
墓は、天王寺墓地。さくら通りから千人塚前通路を行き、納骨堂の先で右に入る。納骨堂の垣根に沿って左に進み、垣根の角から3本目の通路を右に入り、右側。墓誌はない。建立は昭和5年(1930)。とう子も眠る。