岩村一木(いわむらひとき)    明治27年10月19日〜昭和43年12月16日(1894-1968)

    男爵・貴族院議員・肥料配給公団総裁。父、土佐藩士岩村通俊(8男)。東京出身。大正4年(1915)4月長兄の岩村八作の養嗣子となり男爵を継承。大正6年(1917)3月東京農業大学卒業。同年4月農商務省農事試験場入場。大正7年(1918)大日本人造肥料株式会社入社。大正10年(1921)橋田東声に師事、歌誌「覇王樹」に加盟。大正14年(1925)人造肥料連合会理事。昭和6年(1931)財団法人日本少年保護協会理事。昭和6年(1931)司法保護協会理事・社会福祉法人至誠学舎理事。昭和7年(1932-1947)7月貴族院議員。昭和26年(1951)通商産業省輸出検査審議会委員・輸入協議会委員・東京幡多会会長。正四位勲二等。74歳。夫人芳子は、三宅猶之丞(内科・小児科医、慶応大学医学部一期生)の二女。芳子の姉八重子は、法務大臣岩村通世(墓は、多摩霊園)夫人。子は、岩村芳俊。

岩村芳俊(いわむらよしとし)     昭和6年2月20日〜平成12年11月16日(1931-2000)

     三菱倉庫専務。父、岩村一木(二男)。東京出身。昭和29年(1954)学習院大学政経学部卒業。三菱倉庫常務を経て、専務となる。

墓は、谷中霊園 乙12号9側。岩村一族の墓域内。