岩村通俊(いわむらみちとし) 天保11年6月10日〜大正4年2月20日(1840-1915)
北海道開発の父・男爵。号、貫堂。父、岩村英俊(長男)。土佐藩宿毛出身。維新の際武市半平太ら新選組志士らと共に国事に奔走。慶応元年(1865)文武頭取。慶応3年(1867)戊辰戦争時は官軍の軍監として従軍。明治2年(1869)聴訟司判事を経て、東久世を長官とする北海道開拓使の判官となり開拓に尽力。明治6年(1873)佐賀県権令。明治7年(1874)工部省出仕、佐賀の乱に大久保利通に従い平定。佐賀県令。明治9年(1876)萩の暴動で山口裁判所長として暴徒処分にあたる。明治10年(1877)西南の役には、鹿児島県令として従軍。戦後収拾にあたる。西郷隆盛を手厚く葬り(浄光寺跡に仮埋葬し、木標の姓名を書いた)、のち南州神社を建てる。のち、会計検査院長・司法大輔・元老院議官を歴任。明治16年(1883)沖縄県令兼検事恩給局長。明治19年(1886)初代北海道庁長官となり、札幌や旭川の都市造りを始め移住者の便を図り北海道の開発に尽力する。明治21年(1888)農商務次官。明治22年(1889)第1次山県内閣で農商務大臣となり、無爵大臣の始となる。明治23年(1890)勅撰貴族院議員。明治29年(1896)男爵。明治33年(1900)朝鮮京釜鉄道会社設立。旭川常盤公園に銅像がある。東京小石川で没する。76歳。正二位勲一等旭日大綬章。弟、広島県知事岩村高俊。
墓は、谷中霊園乙12号9側。正面「岩村通俊墓」。岩村英俊墓も隣接する。
岩村英俊墓