滋野清武(しげのきよたけ)    明治15年10月6日〜大正13年10月14日(1882-1924)

    明治大正期の日本の飛行家。父、男爵・陸軍中将滋野清彦(3男)。名古屋出身。明治29年(1896)父清彦死去に伴い男爵を襲爵。学習院中等科に入るも父の意思を継ぎ軍人となるため中退し、広島の陸軍幼年学校に入学する。しかし、肌に合わずに中退、のち上野音楽学校に入る。明治41年(1908)音楽学校で知り合った子爵清岡公張の三女和香子と結婚。明治43年(1910)妻和香子を亡くし音楽を勉強するために渡仏。しかし、フランスでライト兄弟の活躍に触れ、飛行機に夢中となり転向。いくつかの飛行機学校を経て飛行術を学び、大正元年(1912)日本初の万国飛行士免状第831号の免許を取る。同年帰国し陸軍操縦将校の教官となるが、うまく行かず大正3年(1914)再び渡仏。第一次世界大戦がはじまるとフランス陸軍航空隊に志願し、フランス国飛行大尉・操縦士として活躍。レジオン・ドヌール勲章受章。大正6年(1917)フランス女性ジャニース夫人(1896?-1968.12.16)と結婚したが入籍は許されず未入籍だったため、長男滋野清鴻(じのきよとり:1922.9-1989.6.20)の親権者が法的に不在となり、夫人と滋野家親族が争っている間に、昭和3年(1928)4月6日華族令第12条第2項の規定により襲爵権が自然消滅し襲爵できず、滋野男爵家は断絶となった。43歳。先妻は、滋野和香子(明治43年4月1日歿22歳)は、子爵清岡公張の三女。※和歌子ではない。

滋野清鴻(しげのきよとり)/ジャック清鴻     大正11年9月〜平成元年6月20日(1922-1989)

     ピアニスト。芸名、ジャック滋野。東京出身。国立横浜工(横浜国立大学)航空工学科卒業。父、男爵滋野清武(長男)。旧制国立横浜高等工業(横浜大学)航空科を卒業。パイロット志願だったが敗戦で断念。ピアニストに転向し、ジャズバンドを主宰。米軍などで慰問演奏。傍ら、シャンソン歌手芦野宏やジャズ歌手のビショップ節子の伴奏を勤める。「和製カーメン キャバレロ」と呼ばれた演奏は華麗であったが、名声を求めることはなかった。LPを「ジャック滋野」の名で出す。猫好きで、自宅近くに集まる野良猫に餌をやろうとして過ってビルの階段から転落死する。

墓は、谷中霊園 甲8号9側。さくら通り側。墓碑は、清彦墓に並ぶ。正面「滋野家歴代之墓」(横書)。ジャニース夫人のフランス語読みは、ジャーヌ。2児を連れたジャニース夫人の墓参姿が見受けられたという。