鎌田銓一(かまたせんいち)    明治29年8月23日〜昭和50年11月3日(1896-1975)

    陸軍中将。父、判事鎌田孝二郎(長男)。海軍造船中将福田馬之助の甥。東京出身。陸軍士官学校・砲工学校卒業。京都帝国大学工学部土木工学卒業。築城本部員・兵器局課員・米国駐在員・兵務局防備課長・整備局交通課長を歴任。昭和16年(1941)陸軍少将。昭和20年(1945)第2野戦鉄道司令官・陸軍中将。昭和21年(1946)復員庁第1復員局連絡部長。戦後、マッカーサー到着時の日本側の受入機関の副委員長。夫人は、陸軍中将大久保徳明(1860-1917)の長女慶子。従五位勲三等。80歳。

墓は、寛永寺谷中墓地。慶喜公墓地に向かって右側に、勝精墓があり、その右側。正面「蒲田家之墓」。「慈徳院殿法勲日銓大居士」。