観音寺(かんのんじ)    創建:慶長16年(1611)

場所:谷中5-8-28
アクセス:JR日暮里駅谷中口から御殿坂を上がり約150mの交差点を左に行き、約250m右側。

蓮葉山観音寺。本所弥勒寺末。新義真言宗豊山派。本尊:大日如来・阿弥陀如来。享保元年(1676)に改称するまでは長福寺といった。山門を入り右手に御府内八十八ヶ所の第四十二番目の札所があり弘法大師像が安置されている。赤穂浪士で有名は四十七士が吉良上野介を討ち取るための談合したという寺で、本堂前に朝山和尚の建てた四十七士の供養塔があり、上部に仏像を表わす梵字、下部に宝きょう印陀羅尼経・宝永(1704−1710)の年号と朝山の名が刻まれている。赤穂浪士の近松行重と奥田行高と兄弟であった和尚が寺を提供、しばしば浪士らの会合が開かれたという。向拝の虹梁の渦、蟇股(かえるまた)の彫り物など装飾も楽しめる。山門を入り右手の札所の右側に「救世菩薩地蔵尊」が安置してあり、有蓋の六面塔をなしている。左右4面に地蔵尊の絵が刻まれている。大正6年(1917)ころ近隣に住む某が突然発狂し妻子5人を殺害し、自分も自殺したという事件があり、これを憐れみ近隣有志が造立したもの。地蔵さんの1体が子を抱いている。正面の先の7文字を1体とみなし、六道能化となる。山門前の通りをさらに40mほど行き左の小道を入ると築地塀があり、谷中も名物になっている。旧住所は、谷中上三崎北町15番地。

※ 真言宗の谷中のお寺が揃って慶長16年創建となっている。しかし、明治10年(1877)の入谷区の調査資料では、どれも開山開基不明としてある。

下記のお墓がある。

落語家桂文楽(四代目)
落語家桂三木助(三代目)墓。