鹿島秀月(かしましゅうげつ)・初代    大正4年1月7日〜昭和43年7月31日(1915-1968)

    浪曲師。本名、杉本常義。長崎市紺屋町出身。12歳の時雲平(後の鼈甲斎虎一丸)に弟子入り。昭和3年(1928)6月浅草公園劇場で、初代木村重友・敷島大蔵・東武蔵・橘雲平の前座を務め初舞台となった。その年の8月に、師の雲平が3代目鼈甲斎(べっこうさい)虎丸の門に入って、虎一丸を名乗って看板披露をしたので、改めて3代虎丸門下となり、「鼈甲斎虎の子」と改名した。先輩格の虎洲(後の6代目鼈甲斎虎丸)などと芸を磨いた。 恩師3代目虎丸亡き後、昭和15年(1940)向山庄太郎の名付け親で「鹿島秀月」と改名した。戦後、その頭角を現し、読売賞新作競演大会で第一位となり、昭和28年(1953)10月国際劇場の浪曲大会に出場。ますます芸を研磨、一流浪曲家となり、NHK専属となる。得意演題は、師匠譲りの「安中草三郎」「伊達騒動」があり、「雷電初土俵」「明暗回り舞台」にケレン味を見せ、落語から脚色した「幽霊短夜に踊る」などを浪曲化し、新しい浪曲に意欲を燃やしたが、脳溢血で倒れた。53歳。
※ 森光俊様からご提供いただいた故人歴情報に編集を加えさせていただいた。

墓は、寛永寺第二霊園。第2霊園門から入り、真っ直ぐにJR線路寄りまで進み、幅の広い通路を右に行き、約50m、JR側に4本のヒバの木が並んでいるので、その前の通路を右に入り、2本目の通路を右に入り、右側2基目。正面「杉本家」。「染香院釈秀月居士」。