川上貞奴(かわかみさだやっこ)    明治4年7月18日〜昭和21年12月7日(1871-1946)

    明治大正期の女優。本名は小山貞。東京・日本橋の両替商出身。7歳のときに芸者置屋の養女となり、その後貞奴の名前で芸者となる。美貌で諸芸に優れ、伊藤博文や西園寺公望など明治の政府高官のひいきをうける。東京日本橋葭町(よしちょう)の芸者時代の明治27年(1894)「オッペケペ節」で知られる川上音二郎と芸者を辞めて結婚。夫ともにアメリカ巡業に出かけ、このときに「娘道成寺」を踊ったのが貞奴の初舞台。次いでヨーロッパを巡業、「マダム貞奴」と呼ばれ人気を得て、米、仏、英、ロシアで名声を博す。フランス政府よりオフィシェ・ド・アカデミー勲章受賞。帰国後明治36年(1903)から明治座をはじめ、日本の舞台でも活躍。明治41年(1908)に帝国女優養成所を開設。明治44年(1911)川上音二郎没後、芸者時代からの恋人福沢桃介に会い、大井ダム建設に協力した。大正6年〜大正7年(1917-1918)引退興行。晩年は演劇界と関係しなかった。昭和8年(1933)岐阜県各務原市に私財を投じて成田山貞照寺を建立。昭和21年(1946)熱海の別荘で死去。享年76歳。墓は貞照寺。名古屋市では文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)を平成17年(2005)2月に開館し川上貞奴の資料を展示している。