養姫/雪窓院 ?〜享保15年12月4日(?-1730)
陸奥会津藩3代松平正容の娘(3女)。母、藤沢儀右衛門秀全の娘お礼津。享保11年(1726)に伊予松山藩6代松平隠岐守定喬(1716−1763)と婚約するも、享保15年(1730)入輿前に卒去した。松平正甫(まつだいらまさもと:1697-1727)の妹。姉妹としては加賀金沢藩7代藩主 前田宗辰室の梅園院(常:1725-1746)がいる。
※ お礼津:はじめ2代正経の正室加賀中納言前田利常の娘くまの御小姓で、その後松平正容の側室となる。正容との間に2男1女を産む。その後、家臣山崎左助実方に拝領妻として下賜される。
墓は、瑞輪寺(谷中4-2-5)。日本美術院裏のメイン通路左側の新規区画墓地の向かい側通路を入る。ひときわ大きい墓碑の兄 松平正甫墓の隣り。「雪窓院殿梅里妙香日空大姉」。