菊池菊崖(きくちきくがい)     文政12年?〜明治32年10月9日(1829?-1899)

    明治の豪商。名、武豊。字、宣伸。通称、豊次郎・菊孫左衛門のち孫輔。号、菊崖。父、小川伊兵衛(長男)。伊勢国河曲郡白子村出身。江戸深川富川に住む。嘉永のはじめに父が没し、一人となって家計が窮し渓琴(菊池海荘)先生が憐れに思い、養子とし娘と結婚させる。海荘の海防などの事業を手伝い、また志を継ぐ。晩年は、鐵渓に家督を譲り、作俳歌・観剣を楽しむ。4男があり、それぞれ武恒(鐵渓:左衛門)・武貞(晩香:三九郎)・武虎(東洲)・武藤(楓渓:藤楠)である。鐵渓に娘孝がいたが、鐵渓が早世のため武貞が育てる。70歳。

墓は、天王寺墓地。甲9号18側横を入り、菊池海荘墓と同域内。正面「菊崖菊池君墓」。