菊池容斎(きくちようさい)    天明8年11月1日〜明治11年6月16日(1788-1878)

    日本画家。本姓、河原武保。通称、量平。号、容斎・定卿・雲水天尽・雲笠・手毛八栄。父、河原専蔵。菊池竹永武長の養子。江戸下谷に生まれる。高田円乗を師とし狩野派の画法を学んだが、父兄の跡目を継いで18歳で幕臣西本丸御徒役となる。南朝の忠臣菊池武時の末裔である父の実家断絶に遭い菊池家を立てる。文政10年(1827)ころ畿内を歩いて丸山応挙や狩野探幽など諸大家の作品は故実、和漢洋の画法を研究し、忠孝の士・烈女の像を付した「前賢故実」を著わす。これは、明治10年(1877)内国勧業博覧会で竜紋賞となり、「日本画士(やまとがし)」の称号を明治天皇より賜る。歴史画・武者絵に優れ、浅草寺絵馬「堀河夜討図」で知られる。88歳の時アメリカの博覧会に出品して賞を受賞。91歳。著書作品:「前賢故実」10巻、「土佐日記絵巻」、「南朝五十四士図」、「蒙古襲来図」など。門下、月岡芳年など。神田で没する。

墓は、谷中霊園乙3号9側。当ブロック最奥(南側・南向き)。都旧跡の説明板あり。碑は太政大臣三条実実篆額、太政官金井之恭書による。(都旧跡)