月岡耕漁(つきおかこうぎょ)    明治2年〜昭和2年2月25日(1869-1927)

    日本画家。本姓、羽住。通称、弁之助。号、年久・湖畔。旧姓、はじめ母方の坂巻家の養子。東京日本橋出身。母が再婚した義父月岡芳年(つきおかよしとし)に師事し、年久と名乗る。芳年没後、尾形月耕(おがたげっこう)に師事し、明治43年(1910)月岡耕漁と名乗る。一方、松本楓湖・宮内林谷・結城正明らにも学ぶ。明治44年(1911)月岡芳年の跡を継ぐ。会津本郷窯業学校教授。印刷技術が進み版元が減る中で、版元が中心の木版画制作や、「風俗画報」などの挿絵を手がける。肉筆の花鳥人物を好んで描いたが、能楽の題材も多く、能舞台を描くことを専門とした初の能画家でもある。上質な画材を使用し贅沢で優美な絵が多い。59歳。娘は、能画家の月岡玉瀞。弟子に松野奏風がいる。作品:「能楽絵図」・「能楽百番」・「能楽画鑑」など。

※ 月岡玉瀞(つきおかぎょくせい:1908-2009?):能画家。本名、稲葉文子。松岡映丘に師事。能版画も得意とする。101歳。

墓は、妙法寺墓地(谷中4-4-30)。本堂裏墓地の低地側へ降りる階段上。「月岡耕漁之墓」。「天祥院耕漁日賢信士」。