結城正明(ゆうきまさあき)    天保11年1月15日〜明治37年3月6日(1840-1904)・・・天保5年説あり

    日本画家・銅板画家。雅号、正明。富山県出身。安政年間に江戸に出て狩野勝川院雅信に入門、狩野芳崖・橋本雅邦らと共に学ぶ。江戸城新御殿建築に際し、師と共に障壁画制作に参加。維新後画業の傍ら洋式銅板画を青野桑州に学び、「ヒポクラテス」、「矢矧橋」などの作品を制作。明治10年(1877)第1回内国勧業博覧会に銅板画「必卜格羅垤ノ像」を出品し受賞。同展には、このほか日本全図・諸県の精巧な銅板画地図を文部省より出品。明治15年(1882)第1回内国絵画共進会に「飲中八仙」、「龍」を出品。明治18年(1885)フェノロサの第1回鑑画会に「伯夷叔斉」、「山水」を出品。明治21年(1888)東京美術学校創立時に日本画科雇となり、明治22年(1889)東京盲学校兼務。明治24年(1891)東京美術学校助教授。明治26年(1893)辞職。門下に横山大観、菱田春草がいる。

墓は、南泉寺(西日暮里3-8-3)。墓地の高台へ行く通路途中、左側、通路沿い。正面「結城正明/妻 春子 墓」。「明治三十年七月建 左腕自書」とある。自身が生前墓として建てたらしい。「秀巧院徳翁正明居士」。