小林千代子(こばやしちよこ)/小林伸江     明治43年7月30日〜昭和51年10月25日(1910-1976)

    昭和前期の流行歌手。別名、小林伸江・金色仮面。北海道小樽出身。東京府立第七高等女学校卒業。東洋音楽学校(東京音楽大学)卒業。松竹楽劇部(松竹歌劇団)に入り、水の江滝子・津坂織江らの相手役となる。同時に日本ビクター蓄音機に入社し、金色仮面(ゴールデンマスク)の名で覆面歌手デビューし、昭和7年(1932)本名を名乗り、看板歌手となる。昭和11年(1936)退団。昭和14年(1939)ポリドールに移籍。昭和16年(1941)タイヘイ蓄音機に移籍するが、「明け行く大陸」の1曲で引退。戦後、疎開先の新潟で「小林千代子歌劇学校」を開設し、少女歌劇団を指導。昭和24年(1949)ポリドール社に復帰、数曲出すも売れずに歌手を引退。以後は、小林伸江と改名し、三浦環の遺志を継ぎ、オペラ「蝶々夫人」の自主公演などを行い、昭和42年(1967)には、第1回マダムバタフライ世界コンクールを開催。

墓は、寛永寺第二霊園。寛永寺第二霊園の入り口より数本目の通路を左に行き左側。蝶の形をしている。三浦環墓(左)の隣り。正面「NOBUE KOBAYASHI」。墓碑と傍らの「声の碑」は、小林伸江が建てたもので、次の詩が書いてある。

葛は西に東にまひつれど やはり嬉しき 古郷の梅かな 三浦。