小橋篤蔵(こはしあつぞう)    万延元年1月7日〜明治42年11月15日(1860-1909)

    海軍大佐・「鎮遠」等艦長。父、少法官小橋橘陰(長男)。東京出身。明治10年(1877)海軍兵学校8期生卒。明治18年(1885)6月海軍少尉。明治20年(1887)海軍兵学校運用術教官。日清戦争旅順威海衛で戦う。「愛宕」、「宮古」、「鎮遠」艦長。明治34年(1901)勲四等瑞宝章。明治36年(1903)舞鶴水雷敷設隊司令。明治38年(1905)海軍大佐。従四位勲三等功五等。50歳。

墓は、谷中霊園 甲4号6側。正面「海軍大佐小橋篤蔵夫妻之墓」。