小篠秀一(こしのしゅういち)     ?〜明治38年12月18日(?-1905)

    「君が代」を最初に指揮演奏した人。明治4年(1871)陸軍軍楽隊に所属、喇叭(ラッパ)教官を経て明治8年(1875)11月18日〜明治11年(1878)5月陸軍楽隊長。明治12年(1879)2月式部頭坊城俊政の命令で宮内省式部寮雅楽課に移る。明治12年(1879)3月19日芝葛鎮・東儀季芳・奥好義と共に、ピアノ伝習の上伸が認められ、ドイツ婦人の松野クララに就いてピアノを習いはじめる。明治13年(1880)10月25日初期の「君が代」が不評で新「君が代」を試し演奏する。若干の音律の修正をし、新曲作成9日後の明治13年(1880)11月3日天長節御宴会において、小篠が指揮を執って宮内省雅楽部吹奏楽員による新国歌「君が代」の初演奏が行われ、新曲の評判は良く、現在にまで演奏されるに至った。正八位。校閲:西洋音楽調和要法(稿本) Hullah著:瀧村小太郎訳:明治15年(1882)5月発行。

墓は、大円寺墓地(谷中3-1-2)。本堂裏際。正面「正八位小篠秀一之墓」。「厚徳院明秀日道信士」。