久保季茲(くぼすえしげ)    文政13年5月12日〜明治19年3月5日(1830-1886)

    江戸末期から明治初期の国学者。姓、源。初名、玄貞のち季茲。通称、鎮吉。号、琴書・杉乃舎・静園・杉庵居士・玉甌道人・水玉老人。父、久保徳潤。代々徳川幕府の医官。江戸出身。幼小より病弱で薬を手放さなかった。漢学を親から学ぶ。10歳ころ父を亡くす。母の神道に依る影響を受けて育つ。15歳で「古事記伝」を読み古典の研究に興味を持つ。鶴峯戊申(つるみねしげのぶ:1786-1859)に師事し、国典・悉曇・籌算を学ぶ。医術を幕医矢部泰安に学び、長じて幕府医官となる。攘夷論者であり幕府側に組したが、幕府瓦解後、武蔵国入間郡下新井に隠棲。維新後は明治政府に呼ばれ、明治元年(1868)神祗官書記。明治2年(1869)大学大助教。宣教権中博士。教部省御用掛。大神神社大宮司。三輪神社大宮司。中教生。正七位。宮内省出仕。欧化主義の潮流に抗して皇典を研究する目的で明治15年に(1882)設立された皇典講究所(国学院)文学部教授。57歳。著書:「古語拾遺講義」、「三種神宝論」、「神徳略述頌」、「万葉山常百首解」、「天津祝詞私考」、「祝詞略解」、「洋教弁略」、「神武天皇紀講義」。「大日本史補」、「稜威口語」、「古道訓蒙頌」、「神古梯立」、「野芹」、「古道集語」、「読闢邪小言」、「外説教略」、「杉庵雑攷」。

※ 国典:国の法典。
※ 籌算(ちゅうさん):数を数えるための木の串の使い方。
※ 悉曇(しったん):梵字の字母とそれが表す音声の総称。

久保悳鄰(くぼのりちか)     安政5年8月〜大正8年2月(1858-1919)

     日枝神社宮司・皇典講究所(国学院大)文学部助教。父、久保季茲。東京本郷出身。明治6年(1873)教導職試補。明治7年(1874)少講義。明治9年(1876)権講義。明治10年(1877)神道事務局講師。明治14年(1881)大講義。明治17年(1884)皇典講究所(国学院大)文学部助教。明治23年(1890)国学院講師兼幹事。明治27年(1894)東京府神職取締所長・皇典講研究所試験委員。明治33年(1900)官幣中社東京日枝神社宮司。大正2年(1913)神社奉祀調査会および明治神宮造営局嘱託。東京府神職会長。従五位。61歳。著書:「清園語辞集」。

※ 皇典講究所:明治15年(1882)東京に開設された皇典研究と神職養成を目的とした機関。明治23年(1890)国学院を設立。

墓は、谷中霊園乙3号2側。正面「久保家祖先墓」。久保季茲の碑は、国学者の本居豊頴(もとおりとよかい)の撰文。「道隈豊開別大人」。墓誌なく久保悳鄰については未確認。