黒田一道(くろだいちどう)     万延元年〜大正14年7月27日(1860-1925)

     津山松平家家令。本名、鷲三。黒田家は代々作州津山松平家家臣。日露戦争の際、父の名を継承し一道と名乗る。勝山の儒者中西家に生まれる。明治初年津山藩家老黒田家の養子となる。小学校教員。岡山県県会議員。のち衆議院議員を断念して松平家の家令となる。

黒田英雄(くろだひでお)     明治12年〜昭和31年11月1日(1879-1956)

    大蔵次官・実業家。父、津山藩士黒田一道(長男)。明治38年(1905)大蔵省出仕。参事官・大蔵大臣秘書官。大正9年(1921)銀行局長。昭和4年(1929)大蔵次官、渡米。昭和6年(1931)再び大蔵次官に就任。昭和9年(1934)政財界を大騒ぎさせ空前の大疑獄事件たいわゆる「帝人事件」に関与し、中島久万吉商相、黒田次官ら6人が収賄など、背任・贈賄で計16人が起訴されたが、3年後の判決で証拠不十分で無罪となった。このため大蔵次官を辞して、大東京鉄道社長、昭和7年(1932)勅任貴族院議員。昭和25年(1950)東洋火災海上社長。海城学園長。正四位勲一等。78歳。

墓は、谷中霊園 甲3号8側。さくら通りから2基目。正面「黒田家之墓」。一道:「清節院殿道誉我山鷲巣居士」。英雄:「巍光院殿開誉英覚成道居士」。