黒岩直方(くろいわなおかた)    天保5年〜明治33年12月1日(1834-1900)・・・1837説あり

    大審院判事・山階宮家令。高知県出身。初名、磯部寛一郎。土佐勤皇党。文久3年(1863)八一八政変の際安芸守衛と称して三条実美らを護衛して長州まで落ちた志士の一人。土佐と長州間の密使として活躍。戊辰戦争時には奥羽に出征。明治5年(1872)東京府7等出仕。明治9年(1876)司法省検事・東京裁判所判事。明治15年(1882)大審院判事。宮内省7等出仕。明治17年(1884)宸翰御用掛。主猟官。明治22年(1889)山階家令に転じ、久邇宮邦彦・多嘉両殿下の世話をする。正五位勲四等。
※ 八月十八日の政変(八一八政変)は、江戸時代末期の文久3年8月18日(1863)に一橋慶喜や薩摩藩・会津藩などの公武合体派が長州藩を主とする尊皇攘夷派を京都における政治の中枢から追放した政変である。文久年間に起きたことから「文久の政変」とも呼ばれている(ウィキペディア)。

墓は、谷中霊園 甲8号14側。「錦小路家之墓」の隣り。正面「正五位勲四等黒岩直方之墓」。墓域は荒れている。高知県の浄貞寺にも墓がある。