教証寺/教證寺(きょうしょうじ)      創建;寛文7年(1667)

場所:台東区池之端2-1-5
アクセス: 地下鉄湯島駅より不忍池側口を出て春日通りを西へ、すぐ右に折れて進むと、右側。または、東天紅隣りのゴルフ練習場の横の道に入り、次の小さい交差点を左に行き、旧岩崎邸園を過ぎて左側。

     真宗大谷派。高承山。慶長元年(1596)京都本願寺第12世教如上人(きょうにょしょうにん)により伊勢桑名に本統寺を創建(初めから本統寺と呼ばれたわけではない)。開基(初めの責任者)は、同上人の娘長姫(おさひめ、のちの教証院)。この寺が起源となる。慶長6年(1602)長姫9歳にして寺務職となる(それまでは無住職だった)。それまで住職の名で呼ばれていたのを慶安2年(1649)に本統寺と改名。長姫は、約4年間勤めたのち京都に移り、結婚して2子を設ける。のち離婚し、子供たちは独立する。甥の宣慧上人(せんえしょうにん)を養子としたが、幼少のため再び桑名に戻り、小松の勧帰寺から迎えた玄誓(げんせい)と共に本統寺の寺務職を数年間手伝う。晩年、長男公海上人(こうかいしょうにん)を頼り江戸池之端(教証寺のある場所)の隠室に約12年住むが、宣慧上人が病となり、桑名行って看病する。しかし宣慧上人は、22歳で逝去。それから約半年の後、寛永20年(1643)12月17日に教証院殿は56歳で没し、隠室の地を菩提とする。その後、寛文7年(1667)12月17日の25回忌の折に教証院殿の号を寺号とした。
     前置きが長くなったが、旧岩崎庭園のほぼ向かい側にあり、さほど広くない庭は良く手入れされていて清潔感がある。山門には、台東区教育委員会が作った「柳瀬方塾」墓の説明板が掲示されている。山門を入り直ぐ右に都史跡である「柳瀬隠口墓」と書かれた石柱がある。

柳瀬方塾墓がある。