馬島瑞園(まじまずいえん)    文政8年〜大正9年1月5日(1825-1920)

    会津藩士。会津で新選組の土方歳三を治療した医師。会津若松出身。父、眼科医馬島瑞延(二男)。号、杏雨。眼科を父に、内科を杉原外之助に学び、会津藩9代目藩主松平容保の侍医(藩医)となる。戊辰宇都宮戦争で足を負傷した新選組の土方歳三が会津城下随一の旅館清水屋に到着したときに、近くに住んでいた馬島瑞園や古川春英(1828-1870)らが治療した。開城後は因州邸、紀州邸に預けられた。明治4年(1871)大蔵省に勤務。辞職後は書画古銭の鑑定売買で生計を立てた。和歌、絵画を愛した。著書:「絵銭譜」がある。94歳。

墓は、谷中霊園甲9号12側。飛び地のため、甲9号31側の西(裏)側。芳野金陵墓前辺り。正面「杏雨馬島瑞園/妻 楽子 墓」。