馬島瑞延(まじまずいえん)    天明2年?〜文政13年1月12日(1782?-1830)

    会津藩士。眼科医。千葉出身。11歳で江戸に出て、馬島某に眼科医学を学び、優秀をもって馬島姓を許される。同門生の嫉妬があり全国巡遊を理由に馬島家を出た。会津に入った時に、たまたま藩主松平容敬(まつだいらかたたか)が皮膚病にかかり、眼も患っていたのを瑞延が治したので、会津藩に仕えることとなる。長男は、馬島瑞謙。二男は、馬島瑞園。48歳。正面「馬島瑞延/妻 梅女 之墓」。「誠心院念誉致生瑞延居士」。

馬島瑞謙(まじまずいけん)     文化8年〜安政6年9月2日(1811-1859)

     長沼流兵法者。父、馬島瑞延(長男または二男)。名、常謙。字、子謙。号、飯山・石丹。通称、瑞謙。若くして江戸に出て諸名士と交流し、兵法を研究。蘭学を志し、外国奉行水野筑後守に随行してアメリカに行くために数か月江戸に滞在していた間に病気となり和田倉藩邸で没した。48歳。正面「会津藩馬島瑞謙先生之墓」。「興護院瑞厳居士」。

墓は、谷中霊園乙6号3側。