間宮八十子(まみややそこ) 文政6年〜明治24年2月17日(1823-1891)
歌人。本姓、久米。父、水戸藩士久米博慎(二女)。母、日暮みを子。国学者久米幹文(くめもとふみ)の姉。江戸小石川の水戸藩邸で生まれる。17歳で水戸藩主徳川斉昭に仕え、久米野と称した。30歳で国学者間宮永好と結婚。和歌・国学をよくし、諸侯夫人・子女にこれを講じる。第一高等学校教授。和歌文章に秀でる。弟子に池田輝知。著書:和歌集「松のしづ枝」、「和歌玉名集」。69歳。
墓は、玉林寺境内墓地(谷中1-7-15)。本堂前の墓地にあり、ヒマラヤ杉の後ろ側。間宮永好墓と並んでいる。「永楽院奇音妙歌大姉」。