増田教之助(ますだきょうのすけ)     ?〜明治12年9月7日(?-1879)

    浅草花川戸の大砲製造家。武蔵国忍藩第3代藩主の松平忠国(1815-1868)は、砲術奉行高島秋帆・大砲製造家増田教之助の協力で、日本で初めての鋼鉄の艦船をうち砕く80ポンドの巨砲を造らせ、また着弾すると同時に爆発する砲裂弾をも開発した。個人歴らしい情報は、NETにも見つからないが、川口の鋳物師として名を知られていた増田安次郎が、嘉永5年から安政5年(1852-1858)の間に213門の大砲を作ったという資料もあることから、何らかの家系関係があるものと推察される。勝海舟は、軍監奉行など軍事関係であったことから、大砲製造家の墓碑銘を書くという間柄も不思議ではない。

墓は、谷中霊園 乙8号5側。木村熊二墓の隣り。正面「増田教之助墓」。勝安房(勝海舟)の書。