増山守正(ますやまもりまさ) 文政11年〜明治34年9月2日(1828-1901)
医家・著述家。通称、復五郎のち復定。号、静香園。父、丹後田辺藩士増山正修(五男)。京都舞鶴出身。藩校の授読を経て江戸・京都に遊学。慶応3年(1867)綾部藩10代藩主九鬼隆備に招かれ藩医となる。維新後、京都府・文部省に出仕、帝国博物館書記等を勤める。明治14年(1881)ころ文部8等属。遺言の「虎は死して皮を遺し、人は死して名を遺す。須く著作を後世に遺すべし」は有名。75歳。子に結核療養所南湖院の創立者である高田畊安がいる。著書:「旧習一新」、「女郎買の用心」、「人体問答要略」、「笑話無尽蔵」、「静香園詩文雑稿」等多数。編纂:「東京名勝画詞. 上,下巻,追録」、「続東京名勝画詞. 上,下巻 」、「明治新撰西京繁昌記. 上,下 」など。
墓は、谷中霊園 甲新16号4側。正面「増山守正之墓」。墓碑の表裏に歌が書いてある。