松平秋雄(まつだいらあきお)    明治35年9月〜?(1902-?)

    陸奥守山藩松平家第11代当主(藩主としては第7代頼升(よりのり)が最後)。父、松平頼平(7男)。従四位。「源温公神位」。
※ 守山藩は徳川御三家の一つ水戸藩の支藩で徳川光圀の異母弟である松平頼元が寛文元年(1661)に常陸国額田に立藩した。初代・松平頼元(よりもと:1629-1693)。2代・松平頼貞(よりさだ:1664-1744)。3代・松平頼寛(よりひろ:1703-1763)。4代・松平頼亮(よりあきら:1744-1801)。 5代・松平頼慎(よりよし:1770-1830)。 6代・松平頼誠(よりのぶ:1803-1855)。 7代・松平頼升(よりのり:1832-1872)。 8代・松平頼之(よりゆき:1858.6.1-1873.8.11)。9代・松平喜徳(のぶのり:1855.10-1891.6)。10代・松平頼平(よりひら:1858.8-?)。11代・松平秋雄 。12代・松平圀弘。13代・松平弘孝(ひろたか:1946.1.7-)。これらのうち子爵は、8代・9代・10代の頼之・喜徳・頼平。秋雄については未調査。

松平圀弘(まつだいらくにひろ)     大正7年9月〜昭和26年11月17日(1918-1951)

     守山松平家第12代当主。父、水戸第13代徳川圀順(1886-1969)(四男)。母、徳川慶喜の娘英子(1887-1929)。養父、松平秋雄。従五位。34歳。「源共公神位」。

墓は、谷中霊園 乙2号1側。正面「松平家之墓」。