松平 育(まつだいらいく)    安政3年〜明治12年2月7日(1856-1879)

    丹波亀山藩第8代藩主(最後)松平信正の正室(写真左)/華月院。遠江横須賀藩第7代藩主西尾隠岐守忠受(にしおたださか:1821-1861)の娘。24歳。正面「華月院殿香誉和順貞洲大姉」。

松平植子(まつだいらたねこ)    安政元年〜明治21年1月31日(1854-1888)

    丹波亀山藩第8代藩主(最後)松平信正の継室(写真右)/貞淳院。対馬府中藩第15代藩主宗義和(そうよしより:1818-1890)の娘。35歳。正面「貞淳院殿植誉本成維徳大姉」。

墓は、甲8号15号。安龍院前。松平信正の墓は、京都市亀岡市の光忠寺。当時、大名の妻は江戸に人質として住まわせたため墓所が分かれた。正室と継室を取り違えた資料もあるが、墓標の記録より上記のとおり。当墓所には、他に3人の子供の墓がある(写真の後ろ3枚。順に「香温院殿超誉理玉大童子」「香照院殿崇誉智芳大童子」「清心院殿仁誉教融大童子」)。H.N.もへい様から寄せられた情報によると内2人は継室の子で信満と信復。旧西尾子爵の墓所とは向かい合う。