松野貞一郎(まつのさだいちろう) 安政4年12月7日〜明治26年2月8日(1857-1893)
大審院判事。旧弘前藩士。江戸藩邸に生まれる。幼きころより学を好み東京大学法学部に入り法学を修得。明治14年(1881)7月卒業。東京裁判所判事補を経て明治15年(1882)東京始審判事補。明治21年(1888)東京控訴院評定官。法典問題・貴衆両院の決議に功績大。大審院判事兼法典調査委員。英吉利法律学校幹事兼教授。東京大学・専修大学・高等商業学校・海軍主計学校各講師。従五位。37歳。
墓は、天王寺墓地。塩谷宕陰墓近く。天王寺歴代墓域左隣り。「顕徳院仁貞一如居士」。法学博士花井卓蔵撰の略歴あり。左隣に子松野松太郎墓あり。