三宅仁(みやけまさし)    明治41年〜昭和44年12月25日(1908-1969)

    病理学者。東京大学医学部名誉教授。父、三宅鉱一(長男)。昭和7年(1932)東京帝国大学医学部卒。同大学病理学教室に所属し、長与又郎・緒方知三郎・三田村篤四郎教授に師事。昭和22年(1947-1968)東京大学医学部教授。退官後、名誉教授。多くの病理学に優れた業績を残したが、中でも原子爆弾症の研究は世界初の業績である。

墓は、天王寺墓地。石本新六墓横の大椎の木の下。正面「三宅家之墓」。三宅鉱一に合祀。「正源院殿徳誉仁堂明円居士」。