三宅鉱一(みやけこういち)    明治9年〜昭和29年7月6日(1876-1954)

    精神病理学者・東京府立松沢病院院長。父、三宅秀(長男)。東京出身。明治38年(1905)ドイツ留学。明治42年(1909)医学博士。東京帝国大学医科助教授・東京府立巣鴨病院副院長、大正14年(1925)東京帝国大学教授・東京府立松沢病院院長。昭和11年(1936)退官。同年、実業家堀越久三郎の寄付により東大医学部に脳研究所を開設。正四位勲三等紺綬褒章。長女栄は、平山洋三郎の妻。三女照子は、島薗順次郎の長男で医学博士島薗順雄(しまそののりお)の妻。

墓は、天王寺墓地。石本新六墓横の大椎の木の下。正面「三宅家之墓」。三宅秀に合祀。「大徳院殿耿誉鶴鶴翁普済居士」。