森繁久弥(もりしげひさや)/森繁久彌     大正2年5月4日〜平成21年11月10日(1913-2009)

    俳優。父、菅沼達吉(三男)。母、馬詰愛江(入籍せず)。大阪府枚方市蔵谷出身。2歳のとき父を亡くし、7歳のとき父達吉の義理の母が再婚した山口県の森繁という血縁のない”森繁”を継ぐ。養父は、森繁平三郎。ちなみに長男弘は、”馬詰”を継ぎ、二男俊哉は、”菅沼”を継ぐ。堂島尋常高等小学校・旧制北野中学校・早稲田第一高等学院を卒業。昭和9年(1934)早稲田大学商学部に入学。在学中には演劇部で活躍。昭和11年(1936)軍事教練を拒否し大学を中退。兄弘の紹介で東京宝塚新劇団に入団。以降多大な活躍をするが、他の資料にゆだねる。昭和63年(1989)に満壽子夫人が没し、平成11年(1999)に長男泉が没する。長男の事業精算のため世田谷の自宅を売却し、同地に建てられたマンションに移る。平成14年(2002)心筋梗塞で倒れるも復帰。96歳。紺綬褒章・菊池寛賞・紫綬褒章・芸術選奨文部大臣賞・第1回都民文化栄誉章・文化功労者・早稲田大学芸術功労者表彰・勲二等瑞宝章・文化勲章・日本アカデミー賞協会栄誉賞・日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞・東京都名誉都民・(国民栄誉賞)。

森繁万寿子(もりしげますこ)     大正3年?〜平成2年10月21日(1914?-1990)

     随筆家・旅行家。筆名、森繁杏子。東京女子大学卒業。昭和42年(1967)日本女性で初めて南極大陸を訪れる。世界を200回以上旅行し、旅行家として知られる。76歳。著書:「ママのアフリカ欲張り旅行」、「ばばの手紙」(平成3年日本文芸大賞・特別賞受賞)など。

森繁 泉(もりしげいずみ)     昭和16年1月7日〜平成11年1月23日(1941-1999)

     賀茂カントリークラブ社長。昭和37年(1962)出海産商代表。昭和40年(1965)佐鳥マリーナ代表専務。昭和49年(1974)日本マリーナ・ビーチ協会専務理事。昭和51年(1976)B&G財団施設部会委員・日本小型船舶検査機構評議員。昭和63年(1988)神奈川県小型FRP船建造所協議会会長・舟艇利用振興センター評議員・海上保安友の会理事。平成元年(1989)運輸政策審議会総合部会専門委員。58歳。

墓は、寛永寺谷中墓地。乙10号10側から通路向かいの坂を上り、左側。正面「森繁家」。「慈願院釈浄海」。萬壽子夫人および子泉も合祀。