茂木春太(もてぎはるた) 嘉永2年〜明治14年5月21日(1849-1881)
教育者・化学者。父、柳沢藩士茂木道一。慶応3年(1867)福沢諭吉の塾に学ぶ。明治元年(1868)伏見の役に参加。明治3年(1870)4月特待生として慶応義塾に入学。文部省編纂局出仕。明治7年(1874)開成学校製作教場の助手。明治10年(1877)東京女子師範学校教員。理学・化学を教授。明治11年(1878)弟重次郎と「大和屋重次郎商店」を設立。明治14年(1881)3月弟茂木重次郎の兄弟が「光明社」(後の日本ペイント)を南品川に設立。亜鉛華より固練り塗料を開発し、当時の帝国海軍に船体塗料として納入。これはわが国の塗料工業の嚆矢となる。33歳。
墓は、谷中霊園 乙11号3側。同郷の先輩、熊沢善庵の提唱で、中村正直撰文の碑が建つ。彫師は、広群鶴。