広群鶴(こうぐんかく)・7世     ?〜大正6年(?-1917)

    江戸一番の名石工・御碑銘彫刻師。多くの有名碑銘を彫る。「谷中の広群鶴」として知られる。森章二著の「碑刻―明治・大正・昭和の記念碑」に作品が載る。7世は、原田家からの養子。妻、こと。長男、清。

※ 作品例(世不同): 「渡辺魯輔墓碑銘」、「萱水杉浦翁墓碣銘」、「杉浦譲墓碑」、「蒙恬将軍の碑」、「奥の細道」の千住矢立初の碑、「内田正雄君墓銘」、「滋野道臣碑(甲7号1側)」、「フェノロサ記念碑(東京芸術大学)」、 「三幣家之墓(甲1号8側)」、 「金枝照子の碑(乙10号15側)」、「大槻玄沢墓碑」、「天樹大姫祠堂碑」、「角田桜岳墓銘」、「柏木山人碑(養福寺)」、「東村山停車場の碑」、「阿部茂兵衛の彰徳碑」、「佐羽淡齋之墓 」、「福山泰庵墓表(啓運寺) 」、「文安先生市河静墓銘(本行寺)」、「無琴道人墓碑」、「蟲 冢(寛永寺境内)」、「山本北山之墓」、「箱根芦の湯碑」、「吉田知吉墓(天龍院)」、「横山尚」、「依田薫」、「関山氏墓記(甲8号9側)」など。

※ 渡辺魯輔(1821-1873)は儒者、蒙恬将軍は始皇帝に仕えた武将。内田正雄(1836-1876)は、オランダ留学、のち大学南校で教授「輿地詩略」の著者。フェノロサは日本美術研究家のアメリカ人で、日本で活躍。大槻玄沢は「解体新書」の翻訳者。角田桜岳は、駿河の儒者で地球儀を作る。阿部茂兵衛は、明治期の開拓者。

墓は、領玄寺墓地(谷中4-3-6)。山門より左塀沿いに通路を奥へ、右側。正面「南無妙法蓮華経 広群鶴累代之墓 原田家」。「法心院得達日順居士」。墓誌なし。