金枝義恵(かねえだよしえ)     天保4年〜明治42年9月15日(1833-1909)

    漢学者。父、山田五左衛門(三男)。茨城県出身。大坂の目付役。神奈川県の税関史。外国人応接役。鳥取県参事。東京府士族授産金整理委員。のち、明治3年(1870)下谷御徒町に「開明塾」を開き、漢学を教授する。76歳。「成徳院義嶽定恵居士」。

金枝照子(かねえだてるこ)     弘化3年〜明治35年5月16日(1846-1902)

     明治期の教育家。倉谷清四郎の妹。文久3年(1863)金枝家に嫁ぐ。明治3年(1870)「開明塾」を開き、40年間にわたり女生徒を教育する。57歳。「智峰院照実妙光大姉」。

墓は、谷中霊園 乙10号15側。金枝照子の碑(広群鶴刻)が建つ。佐々木慎思郎墓のとなり。