村田綱太郎(むらたつなたろう)    明治31年?〜大正11年4月5日(1898?-1922)

    陸軍技師・男爵。東京出身。東京砲兵工廠付技師。従四位勲四等。24歳。東京砲兵工廠は、村田銃の製造工場で、現在の小石川後楽園にあったもので、碑がある。

墓は、谷中霊園 乙7号甲1側。村田経芳墓の隣り。正面「従四位勲四等男爵村田鋼太郎/従五位村田経麿/男爵室 智恵子 墓」。没年と享年から推すと、経麿(大正15年5月26日没65歳)が経芳の子で、綱太郎が孫の関係で、孫が襲爵したと考えられるが、不明。綱太郎が経芳の長男とする資料があるが、60歳のときの長男というのも疑問。