永瀧久吉(ながたきひさきち)     慶応2年12月〜昭和17年10月20日(1866-1942)

    総領事。号、静修。父、永瀧源治(長男)。新潟県刈羽郡野田村出身。母、智意。家業は農業。明治14年(1881)家督相続。明治23年(1890)司法官試補。東京地方裁判所勤務。のち外務省試補。領事館補。累進して1等領事。釜山・仁川・沙市・シドニー・漢口・ホノルル各総領事。大正2年(1913)実業界に転じ、安田保全社理事・満州興業会社社長・東京建物取締役・台湾製麻取締役。従四位勲三等。77歳。

墓は、寛永寺谷中墓地。伊達宗城墓裏手。墓碑の略歴は自書による。正面「従四位勲三等永瀧久吉/配 登代子 墓」。「静修院忠ー亮儀大居士」。