中村元起(なかむらげんき)    文政3年〜明治17年4月30日(1820-1884)

    高遠藩儒者。通称、忠蔵。字、喜卿。号、黒水。父、高遠藩士中村元恒(1778-1851)(長男)。箕輪町大出出身。家学を受け、のち昌平校にて大学頭林復斎に師事。のち林家の塾頭となる。家督相続後、父の藩士の開墾事件で一家が黒河村に追放され、父の死後再び高遠藩に召しだされ儒学教師となる。万延元年(1860)に藩校「進徳館」(高遠城内に現存)を創設し、儒学教師となるが、洋学の数学、化学、物理なども講義した。廃藩後は、筑摩県に勤務し松本開智学校を創設。のち、維新後は教部省内務正院となる。明治8年(1875)田中重遠・江目長芳と修史局3等書記、内務省に勤務。父の志を継ぎ、郷土(信濃)関係の文献を収集し「蕗原拾集(ろげんしゅうよう)」の続編を作成した。子に林学者の中村弥六、ひ孫に元首相原敬の暗殺犯中岡艮一(なかおかこんいち)がいる。門人は神尾光臣。65歳。大正4年(1915)贈従五位。

墓は、谷中霊園 乙8号5側。正面「黒水翁中村元起墓」。